2019年に発売から15周年を迎えた究極のラーメン鉢。
その誕生の裏には、熱い男たちの様々な苦闘がありました。今回はそんな男たちのストーリーをご紹介したいと思います。
 
 

2003年10月、有田商工会議所に1本の電話がかかってきた。

「有田ならではのプロジェクトを立ち上げ、その開発を含めた過程を『おーい、ニッポン』で放送させてもらいたい」というNHKから依頼であった。
電話を受けた川原は、李荘窯の寺内と共に、NHKとの打ち合わせに臨んだ。
そこで窯元の二世で、時代を担う男たちの集まりである陶交会でプロジェクトに参加することを提案した。
企画会議を進めていくうちに、次第にテーマが絞られ、「これまでにない、有田ならではのラーメン鉢の新スタンダードを作る」ことに決定。
当時、未だかつて「ラーメン鉢」という商品が市場にでたことはなかった。誰しも「どんぶり鉢」で代用し、それに何ら疑問を持たずに使っていたのだ。400年の伝統を受け継ぐ有田の陶工たちの胸に赤く燃える火がついた。

数ヶ月後、14名の男たちは、それぞれが思い描くラーメン鉢を作り西有田町のラーメン屋に集まった。
それぞれの鉢にラーメンを盛ってもらい、出来栄えを確認するためだ。
しかし、いざ持参した鉢にラーメンを盛ってもらうと、ほとんどの鉢がたっぷりとラーメンを盛ることができなかった。
少ない中から条件に合う3点が選び出され、フォルムの最終調整を行って2種類の試作品ができた。

試作1
試作2

 

 

 

 

 

2004年1月、彼らは大阪にいた。
日清食品インスタントラーメン発明記念館(現:カップヌードルミュージアム 大阪池田)の職員に試作品を使ってもらうい評価をもらうためだ。
差し出された鉢に記念館の女性職員たちがチキンラーメンを入れ、お湯を注ぎ込んだ。しかし、充分にお湯を注いでも麺を浸すまでにはいたらなかった。
家庭用のインスタントラーメンは、ラーメン屋で提供されるものとはスープや麺の量が異なっていたのだ。
更に女性職員の口から出た言葉は男たちの自信を揺るがせた。
「熱くて持てない」「大きすぎて持ちにくい」….

翌日、男たちは東京へ発った。
向かう先は日清食品本社。ここでもマーケティング担当者から家庭で使う視点からの問題点を指摘された。
次に向かった横浜ラーメン博物館でも、更に追い討ちをかけられるように、「この麺鉢だと、スープ本来のおいしさが損なわれる」と言われ、男たちの自信は完全に砕かれた。

コンセプトの変更を余儀なくされたメンバーは、有田に戻りミーティングを行った。
これまで、有田が作るならこうあるべきという思いが前面に出てしまい、このラーメン鉢を使って家庭の主婦や子供達がインスタントラーメンを食べている姿が見えていなかった。使う人のことをしっかりと考えていなかったのだ。
そこで、家庭で食べるラーメンのスタンダードいえるチキンラーメンをベースに一から全て考え直そう、という思いが男たちの胸に広がっていった。
目標は、「チキンラーメンがおいしく食べられる、小振りで使い勝手の良いラーメン鉢」その凝縮された一つの型に、男たちのそれぞれが得意とする絵付けをして市場に出すことを決定した。

 

TVに映し出された男たちの顔は緊張していた。
小雪が舞う有田の泉山磁石場。設けられた特設ステージに、出来上がったラーメン鉢を神輿に乗せ、男たちは立っていた。
その前にはチキンラーメン発明記念館の女性たち、横浜ラーメン博物館のプロたちが座っていた。
いよいよ審査の時、男たちが作り上げたラーメン鉢を使って審査員たちがラーメンを食べる。そして、全員が合格のボタンを押した。
会場となった泉山磁石場には男たちの歓声が響き渡った….

こうして、今店頭には男たちの思いをこめたラーメン鉢が並んでいる。未知の市場に敢えて挑戦した男たちの胸に赤く燃える火に照らされて。

 


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